デイドリームビリーバー

先週、苗場に行ってきた。

感染対策に気を付けて、密集地帯には近寄らないように動いた。

 

巨大なグリーンステージで見た、

ハイエイタスカイヨーテなどもカッコよかったが、

苗場食堂のアットホームなステージで演奏していた

三宅伸治&The Red Rocksに思わず足が止まった。

 

おっ、タイマーズの「デイドリームビリーバー」だ。

清志郎が実際の母親のことを歌った曲である。

僕は先日亡くなった母の事を思いだしながらじっくり聞いた。

 

ステージには木村充揮がコーラス参加してた。

泥臭くも崇高な声。

「ずっと夢を見て幸せだったな」

サビの部分で感極まってしまった。

 

フジでは、思いもかけない瞬間がある。

2022年土曜日の夜も忘れられないだろう。

 

 

四十九日法要

6月26日。

実家で朝早く起きる。

先月83歳で亡くなった母の四十九日法要だ。

ゆっくりと遺影に手を合わせる。

9時半に姉が車で迎えにきて、家族でお寺へと向かう。

 

10時から法要が始まる。

先月の葬儀以来久しぶりに住職に会い、お布施を渡してご挨拶をする。

寺院のなかに家族で座った。

読経は般若心経から。

 

住職の読経が続く中、突然雨が降りだした。

「ゴオッ」という音がして、思わず外を見るとかなりの大雨だ。

祭壇には龍の絵が描かれていた。

僕は雨の中、龍が雲の間をつたって空へ上っていく図を想像した。

 

その龍はきっと母の御霊をていねいに抱いて、天へと運んでくれるのだろう。

 

「母を、お願いします」僕は、そっと手を合わせた。

大雨はやがておさまった。母の魂が無事に極楽へと着いたようだ。

 

約40分の読経が終わり、家族が順番に焼香をする。

僕は最初の番だった。

心の中で「お母さん、おつかれさまでした。空の上で、どうぞごゆっくりお過ごしください」と唱えた。

そのあと家族のみんなが合掌した。

 

最後に住職がお話をされた。

「亡くなったかたのためにも一日一日を大切に生きましょう」

その言葉をこころに刻んでお寺の外に出た。

「不思議やねえ」と姉。

「お母さんも、最後に同じことを言っとったんよ。『一日一日が大事』って」

 

外で家族写真を撮った。

「皆さんこっちを向いてください」

住職がスマホのシャッターを押すとき。

僕は青空の向こうを見上げた。

 

ありがとう、お母さん。

 

 
 
 
 
 
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コロナ禍のクラフトビール三昧

2021年ももう半ば。

気がついてみると、「外」できちんとお酒が飲めたというのは、

3月上旬から4月半ばまでの1か月ちょっとである。

(それも8時までの時短モードだった)

 

GWからこのかた、ずっと自宅で酒を飲む生活が続いている。

ときどき、ベランダでチェアリングして飲んでいるが、これも少し飽きてきた。

そこに登場したのが「クラフトビールの生」の楽しみである。

 

家の近所に「K」という酒屋があり、中で角打ちもやっているのは知っていたが、自分は酒は酒場で飲むのが常で、角打ちは趣味ではなく、こちらへ行くことはなかった。

だが、この店の「クラフトビール量り売りします」との張り紙に心が揺れる。

 

しかも炭酸が入れられるペットボトルの持ち込み料がコロナ禍のいまはタダだという。

さっそく、大山ビールのIPA箕面ビールの猿山を購入。

大山と猿山、それぞれ500mlのペットボトルいっぱいに注いでもらう。

金額は999円と1185円だった。

 

 
 
 
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うんまい!

大山はコクがありしっかりした味で、猿山はフルーティでさわやかだった。

これがきっかけとなり、毎週「K」に通っては、ペットボトルにクラフトビールを詰めている。

ビールのアテはコンビニのカニカマやチーズなど。

のんびりテレビでプロ野球中継などを見ていると、ほろ酔い気分ができあがる。

 

この楽しみは、コロナが収まってもきっと忘れることはないだろう。

ゆる・ロックダウン・フェスティバル

約2か月、時間がのんびりと流れていた。

 

「4月から新型コロナのせいで世の中は自粛ムードになる」

と思った自分は、3月中にとにかく会いたい人に会っておいた。

連日の飲み、飲み、飲み。

3月末は新宿中央公園を歩きながらの夜桜見物。手に缶チューハイでおつなものだった。

 

果たして4月になると政府と都による「自粛要請」が出た。

ライブハウス、スポーツクラブ、飲食店など世の中のサービス業の多くが営業中止、もしくは時間短縮となった。

人は街から消え、自分の会社も自宅作業、リモートワークになる。

 

自宅での「引きこもり」生活は妙に規則正しいものだった。 

朝7時に起きると近所の公園までジョギング。

ドラクエウォークをしながら雨の日以外は走ることに。

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朝ごはんはサラダを作り、昼と夜は近くの飲食のテイクアウトを買う日々となった。

人気店が始めたテイクアウトには行列ができていた。

軽い糖尿のケがある自分にとって、野菜を多めに食べて有酸素運動をするというのは、体質改善になった気持ちがした。

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テレビはコロナの怖さを連日伝えていたが、自分としてはのんびりとした気分であった。

こんなに長期、自分と向かい合えるのは小学生の夏休み、大学生の夏休み以来ではないだろうか?

 

まだ明るい夕方、テイクアウトの弁当の袋を持ち歩いている自分。

まるで、“フジロックのフェスご飯”を買って帰るみたいだな、と思った。

 

苗場のフジロックは去年まで19年連続毎年行っている。

音楽を聴くのも楽しいが、フェスご飯や、温泉に入ったり、長距離を歩いたりするのも楽しい。さらにはシャトルバスを待つ間に文庫本を読んだりするのもいい。

普段の仕事や日常から離れるのが、いいのだが、今回の「コロナ自粛」もどこか似ているところがあった。

 

自粛、自粛と言われているが、日本は外国のように厳しいロックダウンではない。

どこかゆるいというか、飲食店も夜8時まではやっていいし、外出しても罰則はない。

もちろん「金銭的な補償」が足りないため、国や都は自粛を徹底できないというのがあるのだろう。

 

まさに「ゆるいロックダウン」というものだった。

 

国民に蔓延する緩慢な一体感のなかで、自分はなんとか苦痛を楽しもうという努力、いや工夫をした。

たとえばベランダで青空の下で飲んだり、ZOOMで遠く離れた友人と飲んだり。

まだ明るいうちから歩いて近所の銭湯に行ったり(ただしサウナは休止中)。

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 東京の自粛要請は5月末に解除された。

6月になると3月までと同じような日常がスタートした。

 

スポーツクラブも再開され、朝のジョギングは週末だけとなった。

朝のサラダはまだ続いている。

 

そしてフジロックの中止が発表された。

 来年また、夏は来るのであろうか?

 

 

「シン・ゴジラ」中の「厚生労働省」のジャージ

シン・ゴジラを観て数週間経った。
興行的には大ヒットで、内容的にもほぼ大絶賛のムードで何より。
庵野さんと樋口さんのこれまでの仕事の良質な部分がうまく積みあがった感じがいい。
いろいろなことが語れる映画だが、個人的は対ゴジラで集められた官僚チームが、
厚生労働省」や「文部科学省」とか背中に入ったジャージを着ていたのが良かった。
なんというか、協力してやっているムードが良く出ているんだよね。
現場からは、以上です。

リハビリとしてのフジロック

今年もフジロックに行った。おそらく16年連続16回目。

1月末に転んで手と足を折ってから、入院、リハビリと辛い前半だったのだが、その総決算ともいえるイベントになった。
そもそも、約半年にわたるリハビリも「フジに間に合わせるため」にがんばったようなフシもある。
手はほとんどよくなり、足もちょっとひきずるような感じで臨んだ3日間。
1日目2万歩、2日目3万歩、3日目2万歩。いやあ、よく歩いた。
特につらかったのが、ドラゴンドラ山頂に登るロープウェイ乗り場までの坂道。
一気には登れなかっただろう、この坂道も、途中に並ぶ列ができていたのでゆっくりと行けた。
気を付けながら歩き回った三日間だが、自分の体の回復に自信が持てたのはなにより。
ライブの間に、ピラミッドガーデンを抜けての苗場温泉に、宿の途中にある雪ささの湯にも入って湯治気分も味わった。
本当に、銭湯とフジロックは、裏切らない。

現場からは以上です。

うどんの国へ

秋のさわやかな天気の中、香川へ行ってきた。
一泊二日の旅だったが、うどんを4食たべてきた。
一番おいしかったのは日の出製麺所。
2度目だが、今回も長い行列。まさに「巡礼」という感じ。


今回のメインは、カマタマーレ讃岐VS愛媛FCという
「サッカー四国ダービー」であった。
こちらはロスタイム弾で愛媛が勝利。
わざわざ遠くまで見に行った甲斐があった好ゲームだった。