ゆる・ロックダウン・フェスティバル
約2か月、時間がのんびりと流れていた。
「4月から新型コロナのせいで世の中は自粛ムードになる」
と思った自分は、3月中にとにかく会いたい人に会っておいた。
連日の飲み、飲み、飲み。
3月末は新宿中央公園を歩きながらの夜桜見物。手に缶チューハイでおつなものだった。
果たして4月になると政府と都による「自粛要請」が出た。
ライブハウス、スポーツクラブ、飲食店など世の中のサービス業の多くが営業中止、もしくは時間短縮となった。
人は街から消え、自分の会社も自宅作業、リモートワークになる。
自宅での「引きこもり」生活は妙に規則正しいものだった。
朝7時に起きると近所の公園までジョギング。
ドラクエウォークをしながら雨の日以外は走ることに。
朝ごはんはサラダを作り、昼と夜は近くの飲食のテイクアウトを買う日々となった。
人気店が始めたテイクアウトには行列ができていた。
軽い糖尿のケがある自分にとって、野菜を多めに食べて有酸素運動をするというのは、体質改善になった気持ちがした。
テレビはコロナの怖さを連日伝えていたが、自分としてはのんびりとした気分であった。
こんなに長期、自分と向かい合えるのは小学生の夏休み、大学生の夏休み以来ではないだろうか?
まだ明るい夕方、テイクアウトの弁当の袋を持ち歩いている自分。
まるで、“フジロックのフェスご飯”を買って帰るみたいだな、と思った。
苗場のフジロックは去年まで19年連続毎年行っている。
音楽を聴くのも楽しいが、フェスご飯や、温泉に入ったり、長距離を歩いたりするのも楽しい。さらにはシャトルバスを待つ間に文庫本を読んだりするのもいい。
普段の仕事や日常から離れるのが、いいのだが、今回の「コロナ自粛」もどこか似ているところがあった。
自粛、自粛と言われているが、日本は外国のように厳しいロックダウンではない。
どこかゆるいというか、飲食店も夜8時まではやっていいし、外出しても罰則はない。
もちろん「金銭的な補償」が足りないため、国や都は自粛を徹底できないというのがあるのだろう。
まさに「ゆるいロックダウン」というものだった。
国民に蔓延する緩慢な一体感のなかで、自分はなんとか苦痛を楽しもうという努力、いや工夫をした。
たとえばベランダで青空の下で飲んだり、ZOOMで遠く離れた友人と飲んだり。
まだ明るいうちから歩いて近所の銭湯に行ったり(ただしサウナは休止中)。
東京の自粛要請は5月末に解除された。
6月になると3月までと同じような日常がスタートした。
スポーツクラブも再開され、朝のジョギングは週末だけとなった。
朝のサラダはまだ続いている。
そしてフジロックの中止が発表された。
6月5日にして夏が終わるとは残念。 https://t.co/MnaoWC3EUH
— Keizo Mezaki (@ibiru) 2020年6月4日
来年また、夏は来るのであろうか?